スーパーサンガ会報誌、平成二十七(2015)年夏号より、長野市篠ノ井、長谷寺住職・岡澤慶澄氏のコラムをご紹介いたします。

宝篋印塔を巡る不思議なえにし

photo01 人の念──おもい──が時を越えてはたらきかける。そんなことは空想のお話の中ならともかく、現実の暮らしの中では起こりそうもありません。ところが、人の念が、時を越えてはたらきかけたとしか思えない、不思議なことが稀におこります。私は、長野市の善光寺の背後にそびえる大峰山の中腹、花岡平に今もたたずむ西蔵経宝篋印塔の前に立つと、二〇〇八年の春、初めてこの塔の前に立った時のことを思い出し、その不思議の感に打たれます。半世紀以上前、この西蔵経宝篋印塔を建立した人々の深い念と祈りは、五十年以上の時を越えて、見えない縁で結ばれていた人々を呼び寄せたのです。

 私はこの宝篋印塔の存在を北京オリンピックの聖火リレーの時まで全く知りませんでした。でも、二〇〇八年の春、北京五輪の開催を前に中国政府に虐げられているチベットの状況に世界の注目が集まりました。冬季五輪の開催地だった長野市が聖火リレーのコースになり、善光寺さまがそのスタート地点を返上してからの出来事は、読者の皆さまの記憶にも鮮烈に残っていることでしょう。私もまた、あのとき、チベットの悲劇を深く知るようになると、様々な人との出会いに導かれるようにしてこの塔の前に立ち、この塔が建立されたいきさつを知り、そして当時の発起人の人たちのことを知りました。

 発起人たちの多くは、志を持った教師たちでした。みな、偉大な教育者であった奥田正造の下に集って研さんを続ける信州教育の担い手たちでした。奥田氏の学びは、教育者としての技術的なことではなく、観音仏教や茶道の心を基礎に据えた精神的な修養でした。そのような学びの場に、奥田氏は近代チベット仏教学の巨人として知られる多田等観氏を招き、さらに多田氏の縁でチベット仏教の僧たちがやって来たのです。一行は、信州の若き教師たちとの懇親を深めつつ、戸隠山に詣でて、この霊場の山深くに奉安された古い宝篋印塔に出会います。そのとき、多田氏やチベット僧たちは、自分たちもこのような仏塔を建てたいと発願したといいます。その願いを受けて、奥田門下の若き教師たちが、生徒たちとともに経文や陀羅尼の一字一石に取り組み、発起人たちは僧たちの強い思いと祈りに応えるように熱い情熱をもって宝篋印塔の建立に邁進したのです。

photo02 このときの建立発起人の名簿を見たとき、私は大きな驚きと深い感慨を覚えました。なんとそこには、私の曽祖父が参画しているではありませんか。それどころか、私の住持する長谷寺の檀家や信徒の方々がたくさん名を連ね、中には今なお存命でこの奉賛会を長く支えてこられた方もあるのです。しかも、長谷寺のある篠ノ井塩崎地域で奥田氏の薫陶を受けた方々によって、この西蔵経宝篋印塔に深く刻まれた「萬善同帰」の精神を引き継ぐ宝篋印塔が、長谷寺境内にも建立寄進されていたのです。まるで、一筋の糸によって五十年前の人たちと私が結ばれているようでした。さらに、このようにして、時を越えた呼び声に招かれたのは私だけではないのです。二〇〇八年にチベットの平和のために立ち上がった市内の僧侶が何人もいましたが、発起人名簿に中には、その方々の父であり祖父である方の名前が何人もあったのです。皆、この西蔵経宝篋印塔の存在を知りませんでした。知らずに、チベットの人々の現状に胸を痛め、その平和を祈って立ち上がったのですが、皆、その父や祖父がこの宝篋印塔の建立にかかわっているのでした。誰もが塔の力の不思議に打たれました。

 五十年前、もうすでに中国の侵攻によってチベットは危機にありました。奥田氏に招かれ、信州にやってきていたチベット僧たちは、同じ仏教徒の国であり、敗戦から力強い復興を果たしつつある日本で、どのような思いでこの宝篋印塔を建立したのでしょう。無垢な子供たちとともに、経文を一字一石に書しながら、何を願っていたのでしょう。祖国の平安と、世界の平和を心から念じ、一字一字、一石一石に深い念を込めていたのではないでしょうか。その強い願いは、信州の若き教育者たちの心に平和の祈りとなって灯され、その祈りのともしびは五十年以上にわたって奉賛会に継承されてきました。

 奥田氏も多田氏もまたチベットから来た三人の僧たちももうこの世にはいません。しかし、彼らの深い想いは、今も奉賛会の皆さまの胸に赫々と燃え、会のたゆみない継承のご尽力によって、ついにチベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ法王十四世にまで届き、有り難いことに法王もこの塔に詣でられました。法王の参詣が実現した時、私は何か奇跡を見ているような思いがしました。五十年前の奥田正造、多田等観、そして三人のチベット僧たちをはじめとする発起人となった教育者たちの強く深い念が、時を越え、見えない糸で結ばれた人々を宝篋印塔へと呼び寄せたのです。

 そしてこの祈りの呼び声はこれからも決して止むことはなく、静かに、しかし確実に世界へと広がり、世界中の人々に胸に、平和と安らぎの心を呼び覚まし続けていくでしょう。私はチベット僧たちの真実の祈りによって建てられたこの宝篋印塔の不思議な働きを、これからも語り継いでいきたいと思っています。

(『建立五十周年記念 西蔵経宝篋印塔由来記」「西蔵経宝篋印塔奉賛会」発行より)