朝日新聞出版発行の「一冊の本」2008年7月号に掲載された「宗教聖典を乱読する 番外編:仏教者・宗教学者から見るチベット問題」を、釈師のご了解により紹介させていただきます。問題の理解の助けにもなるので、ぜひお読み下さい。
なお、この文章は、チベット問題をよく知らない人向けにという出版社からの注文で書かれております。オリンピック前に書かれている点、また字数制限もあって意を尽くせていない部分もありますがご寛容ください。

◇ ◇ ◇

 今となっては旧聞に属するのかもしれないが、今年三月にラサで起こった騒動や、北京オリンピック聖火リレーへの抗議活動によって、チベット問題が大きく取りあげられた。中国政府がラサの取材を規制したこと、聖火リレーに対して各国がそれぞれの反応を示したことなどもあって、この問題は国際社会の耳目を集めた。今回のことでチベット問題を知った人も多いに違いない。
 チベット問題に取り組んできた人々は、五十年にもわたって非暴力的に抗議活動やデモ行進を続けてきた。今回、中国が北京オリンピックという表舞台に登壇したからこそ、うやむやに棚上げしにくい状況が生まれ、これまで積極的にこの問題を報道しなかったマスコミも騒ぐ事態となった。

アウトライン

 いわゆるチベット問題とは、一九五一年に中国が当時のチベット政府に十七箇条におよぶ協定への署名を強要した後、軍事力で侵攻して自国へと取り込んだことに端を発する。一九五九年にはインドのダラムサラで現ダライ・ラマ十四世を中心としたチベット亡命政府が発足している。
 歴史上チベットとされてきた領域は、現在のチベット自治区に加え、青海省(チベットではアムド地方と言う)、四川省の西側半分以上(カム地方と呼ばれていた。パンダだって、もともとはチベット民族の生活領域に生息する動物であったのだ)、甘粛省の一部にまで及ぶ。
 チベット侵攻に関する中国政府の主張は、「もともとチベットは中国の一部だ」「堕落したチベット仏教僧侶らが政治を動かし、農奴制だった社会を中国が解放した」というものである。
 中国人民解放軍による侵攻との戦いで四十三万人以上のチベット人が死んだと見られ、その後の獄死・強制労働・処刑等を含めて、これまでに百二十万人ものチベット民族が死んだという情報がある(チベット亡命政府によるインフォメーション『チベット白書』日中出版)。
 その後、チベット地区へ漢民族が大量に移住し始める。政策による大規模な漢民族の移住(囚人もチベットに移住するなら解放されたという話もある)が行われることによって、チベット民族の立場は悪化の一途をたどり、貧困化の加速、自文化の崩壊、民族存続の危機、信仰の不自由という状況が続いている。移住計画と中国化政策によって、今や、チベット自治区においてすら、チベット民族はマイノリティーとなっているのである。

落としどころは?

 『チベットチベット』というドキュメンタリー映画がある。在日韓国人三世のキム・スンヨン監督による作品である。キム監督は、自らの民族的アイデンティティーを模索するかのように、中国チベット自治区の漢民族やチベット民族の生活、チベット亡命政府があるダラムサラの様子、ネパールのチベット人難民キャンプなどを、カメラで静かに追う。
 とても貧しくて厳しい生活ではあるが、ダラムサラで穏やかに暮らしているチベット民族たち。そして、幼い子供から高齢者まで、彼らの誰もが「チベットに帰りたい」と語る姿を見ると胸が痛い。もう、リクツもなにもなしで、とにかく、ひどいイジメを見ているような気分にさせられる。
 また、この映画ではチベット自治区からダラムサラへと抜ける亡命ルート(標高6000mを超えるまさに命をかけた過酷なルート)も撮影されているが、地の果てのようなその場所の小さな標識には、「Free Tibet(チベットに自由を)」と落書きされてあった。涙が出た。
少しこの問題を整理してみよう。

 ①経緯の問題
 中国の言い分である「十三世紀からチベットは中国の一部」というのは正確ではない。かつてモンゴル帝国(元)が一時アジア全体を制覇したときのことを指しているのであるが、それはあくまでモンゴル人国家への傘下参入である(十七世紀から二十世紀にかけての清朝との関係も同様)。元がチベットを編入してしまったわけではない。モンゴル国家とチベットの関係は”チュ・ユン”と呼ばれる特別な関係にあった。チベット仏教が宗教的指導者となって、モンゴルの政治的リーダーに徳を授けるといった関係で、いわば「寺と檀家」のような位置づけだったのである。この”チュ・ユン”の関係は二十世紀まで続いた。
 チベットは六世紀の統一国家(実際にはもう少し時代が下がる)からずっと独立国であったし、近代以降も中国を後ろ盾としながら、イギリス領インドとも敵対することのない適度な関係を保ち、自治権を維持してきたのである。名実ともに中国の一部として編入されたのは、一九五九年からだ。
 さらに、「一九五九年まで農奴制だった」「ダライ・ラマを頂点とする圧政から民衆を解放した」という名分も中国の行為を正当化できない。実際の経緯を見れば、漢民族を中心とした中国政府による「拡大主義」「地下資源の確保」「異民族の排除」が透けてみえる。ペマ・ギャルポ氏(桐蔭横浜大学教授・チベット文化研究会所長)は、「中国は数十万人の農奴を解放したと言っているが、そもそもチベットにはそんなに農地がありません」と発言している。実は中国が「農奴制からの解放」をスローガンとして語りだしたのは一九五九年の侵攻以降であり、それまでは「チベットは中国の一部」という主張に頼っていたとも指摘されている。
 確かに一九五九年までチベットは政治と宗教とが共存する神聖政治であった。宗教的権威と政治権力が集中する構造であり、その意味では変革が必要な部分もあっただろう。かつての伝統的チベット社会に問題があったことは現リーダーであるダライ・ラマ十四世をはじめチベット仏教指導者たちも認めている。だからといって、他の独立国を軍事力で強引に取り込んでいいということにはならない。中国政府の見解は、「いじめられるのは、いじめられる側に問題がある」と主張するに等しい。
 そして、確かなことは、チベット民族が減少の一途をたどっているということである。六百万人しかいないチベット民族のうち、百二十万人も死者が出た(亡命政府の発表)というのは、どう考えても尋常じゃない。チベット民族の状況に限定して言うならば、中国の自治州になってからのほうが実生活においても精神面においても悪化していると言わざるを得ない。

 ②生活の問題
 現在、ラサなどでは物乞いをするチベット人があふれている。チベットの中国化が進むにつれ、中国語を話せないチベット人たちは職に就けないからである。中国による侵攻以前は、物乞いはほとんど見られなかったと言われている。
 チベットで生活できないから、命をかけて亡命する人も年々増加しているという。トコロテンのように押し出されているのである。もちろん、亡命先で仕事があって平穏に暮らせるわけではない。亡命先でも過酷な生活が待っているのだ。
 中国に取り込まれる以前のチベットを知るイギリス人ロバート・フォードによれば「遅れた封建社会ではあったが、一人も餓えてはいなかった。大多数の人々は貧しかったが、食べ物に困っていなかったし、大変に幸せであった」(『赤いチベット』新潮社)と述べている。
 また、一九八〇年には当時中国共産党総書記であった胡耀邦氏がチベットを訪れ、「チベットは一九五九年よりも遅れている」と、中国のチベット政策に問題があったことを認める発言もしている。

 ③宗教の問題
 どの国においても、政治で宗教をコントロールしようとする試みは躓きのもとである。大抵は、結果的に政治自身の首を絞めることとなる。政治は、他者への危害や不安をもたらすような反社会的行為へと至らない限り、宗教と折り合っていかねばならない。
 しかし、宗教がもつ”人々をつなげる力”を警戒する中国政府にとって、チベット仏教はやっかいな存在である。そのため、チベット民族の「信仰の自由」は非常に抑圧されている。チベット人が自分たちの宗教や文化に興味を示すと、分裂主義者だといって批難される。投獄される。チベット仏教を実存としてきた人々にとって、この状況はまさに自分の存在自体を否定される苦しみである。
 仏教はキリスト教やイスラームに比べればそれほど”つなげる力”は強くないが、やはり特有の共振力をもっている。私も仏教徒だからこそチベット問題に思い入れをもっている。でも考えてみたら、我々はチベット仏教よりも中国仏教とのおつき合いの方がずっと長い。今回の出来事に便乗して中国をバッシングしている嫌中派たち(この人たちは要するにただ中国を非難したいだけだ)よりも、中国の仏教者たちにチベット問題を一緒に考えてもらいたいのである。
 ところで、チベット問題の抗議デモなどの映像で、ひとりの「男の子の写真」を持ってデモ行進しているシーンを見たことがあるだろうか。この男の子は、パンチェン・ラマ十世である。パンチェン・ラマ(阿弥陀仏の化身とされ、チベット仏教ではダライ・ラマに次ぐ重要な存在)の転生と認定された少年なのだが、中国政府が監禁したままとなっているのだ(今なお生死も不明)。中国政府は別の少年をパンチェン・ラマ十世として立て、事態の収拾に利用しようとしている。

 ④アイデンティティの問題
 中国サイドでは、「チベットは中国のおかげで豊かに便利になった」といった主張がなされている。そういった面もあるに違いない。インフラ整備は進められ、近代的な物品は大量に流入している。でも、それを導入したからこそ生まれる弊害、代償が大きすぎる。チベット民族のロスト・アイデンティティもそのひとつ。チベット民族の尊厳もその代償となってしまっているのだ。
 さらに問題は「同化政策」である。チベット自治区にしても、ウイグル自治区にしても、中国語教育・中華文化教育が行われている。巨大国家の圧力によって、少数民族が押しつぶされそうになっているのである。

 ⑤チベット側の要望
 聖火リレーにからんだ抗議活動をきっかけとして、ときどきテレビなどでもチベット問題についての討論が行なわれるようになった。中国の有識者が「事情も知らずに発言するな!」「これは内政問題だ!」と強弁するシーンが目につく。過敏に反応するその様子を見ていると、やはりすごく痛いところ、触ってほしくないところなのだろうなぁ、と思う。
 現在、チベット亡命政府は、民族の独立国家を要求しているわけではない。外交や国防は中国政府に委ね、それ以外の、宗教、文化、経済面におけるチベット人の自治を求めているのである。チベットは中国の一部でいい、チベット民族の人間としての自由を、尊重を、高度な自治を、それがチベット亡命政府の主張である。上田紀之氏(東京工業大学大学院准教授)やクンチョク・シタル氏(チベット仏教普及協会副会長)によれば、「後ろ手に独立を隠して、自治を提案しているのではなく、本当にそれが良いと考えている」そうである。
 現状を考えると、とても現実的な落としどころだと思うのであるが…。というか、そこにしか落としどころはないのではないか。
 しかし、チベットの”高度な自治”を認めると、ウイグルやモンゴルなど他の地域まで連鎖反応が起こるのではないかと危惧する中国政府には受け入れ難いようだ。

チベット仏教の「中道」

 チベット民族はもともと山岳民族であり、勇猛果敢な戦闘的民族だったと言われている。しかし、七世紀から仏教を受け入れ、とても平和的で非暴力的で生命の輪廻を大切にする性質へと転換したのである(かつて、朝鮮半島でも同様の事態があった。そのため「国力」をつけるべく儒教へシフトしたという説がある)。
 なにしろ、これまで何度かチベット人がこの問題を語るのを聞いてきたが、ほとんどの人が、できる限り事実だけを述べようとする態度であった。誇張してことさら中国による政策の残酷さを語ったり、自分たちの惨状を強調しようとしたりしない。まして、中国を口ぎたなくののしったりしないのである。驚くべきことだ。チベットの人たちは、マイノリティーの立場にありながら節度ある要求をする、という稀有な態度を保持している。そして、「それが仏教だ」と彼らは言う。「こうして事実だけをお話することが私にできる唯一のことなのです」と語るチベット人に仏教は生きている。
 亡命してきたチベット人に対してダライラマ氏は、「チベット人、中国人と分けて考えてはいけない。それは仏教の中道ではない」と何度も語っている。五十年以上にわたって、非暴力・対話の要求を続け、軸のぶれない姿勢を貫いてきたチベットの人たち。だからこそ、今、世界が共振しているのである。

国境を越える尊厳の問題

 五月十二日、四川省を震源としてマグニチュード7.8の大地震が起こった。被害は阪神大震災の十数倍にも達しそうである。中国政府は積極的に海外の支援を受け入れ、復興を最優先してもらいたい。そして、復興のどさくさにまぎれて起こりがちである強引な政策のしわ寄せが、チベット民族をはじめとするマイノリティーへと向かわないことを願う。大災害の復興に関しては、さまざまな外交問題はとりあえず一旦保留して、国際社会はすばやく協力体制をとるべきである。と同様に、現代の国際社会では、こと”人間の尊厳”に関しては国境を越えて発言することができるのだ。これは決して内政干渉には当たらない。
 ぜひ中国政府はチベット問題に対して、情報にバイアスをかけることなく、透明性の高い対応に着手してもらいたい。まずはチベット亡命政府と、ポーズではなく真摯な対話を進めてもらわねばならない。現状では、国際社会は中国を通してしかチベットに関わることができないのである。逆に言えば、我々は「中国政府の対応ぶりは目を凝らして見ていますよ」というメッセージを発し続けていかねばならないのだ。

かつてない機会

 前出のシタル氏は、「北京オリンピック終了後はチベットへの圧力が高まるのではないか」と恐れを抱いている。ちょうど、勇気をもってイジメを告発したものの、後でさらにひどくいじめられるんじゃないかと心配するような感じだ。また、今回、ダライラマ氏は「日本のみなさん、助けてください」と口に出した。私が知る限りでは、初めてのことである。ゆえに、衆議院議長・河野洋平氏のように、チベット問題を「中国の内政問題」と捉えることは(中国政府はこの発言を歓迎した)、いじめ問題を「当事者同士で解決すればいい」と言い放つに等しい。
 チベット亡命政府を軸としたチベット民族たちは、弱い立場にありながらテロに走ることなく、ただただ世界の人々の良心に語りかけるという地道な作業を続けてきた。ときには、先が見えない絶望感から暴動が起きることもあったが、その都度、自粛が呼び掛けられてきた。そして、今回、花が開くように、一気にチベット問題が国際社会の俎上に上がった。世界のあちこちで「チベット問題」に対して声が上がるという連鎖こそ、チベット亡命政府が五十年もの間、待ち続けていたものである。
 中国政府は他国から共感を得られるような対応を選択すべき時を迎えた。なんなら、ダライラマ十四世を北京オリンピックの開会式に招待するというのはどうか。国際社会における中国政府の評価も変わるかもしれない。そして、チベット民族による高度な自治が始まれば、ラサは「平和の象徴」「慈しみの象徴」の都市として、世界の人々が訪れるに違いない。そちらのソリューションを選択すべきである。
 さて、一方、日本政府のとるべき道は? 前出のペマ・ギャルポ氏は、日本で「チベット解放後(中国共産党の言い方で、一九五九年以降のチベットを指す)」といった用語を耳にしたりすると、やはりこちらではなかなか理解されていないんだなぁと感じ、すごく悲しくなるそうである。また、「チベット問題こそこれからの日本を考える良い機会ではないでしょうか」とアピールしている。
 誠に同感である。戦後、軍事力ではなく経済力で表舞台に登場した日本であったが、政治でも軍事でも経済でもない”筋道””信義”を重んじる国として信頼得るというのはどうだろう。とにかく、単純に言って「巨大国家」と「弱小民族」間の問題なのである。イジメを見て見ぬふりでやりすごすのか、それとも弱い者に対しては声を上げる国になるのか。まさに良い機会なのである。

釈 徹宗
(当会幹事・浄土真宗本願寺派・如来寺住職・兵庫大学准教授・比較文化)