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第7回チベット支援団体国際会議報告

 2016年9月8日~10日まで、欧州連合の首都ベルギーのブリュッセルで、第7回チベット支援団体国際会議が開催された。世界50カ国から総勢250人が参加する壮大な会議となった。主催者は欧州議会のチベット関与グループで、代表は議員のトーマス・マン氏である。

1.欧州への長旅

 会議は8日からということだが、7日の夕方7時からクラウン・プラザ・ホテルで、参加者の登録と在ベルギー・チベット人・コミュニティー主催の歓迎会が催された。私はKLM便で10:30に成田を発ち、アムステルダムに現地時間の15:10に到着。アムステルダムから16:33発のKL2979便という列車に乗り換え、ブリュッセルに18:08に到着することになっていた。ところがアムステルダムで乗り継ぎをしようとしたところ、「今日はベルギー行きのKL2979便が走りません。誠にすいません。代わりに別便のチケットを出します」というので、そこで発券をしてもらい、出発が17:20だというので、「遅れてしまうなあ」と思いながら、スキポール空港の駅で待っていると、どんなに時刻表を見ても17:20発という列車は見つからない。17:30にパリ北駅行の特急があるので、ひとまずこれに乗り込んだ。
 車内で車掌が来たので、発券されたチケットを見せると「この列車には乗れない。追加で84ユーロ(10,920円)払うか、次の駅で降りるかだ」と言う。私としてはブリュッセルまで料金は払ってあるので、これ以上は払えないと思い次の駅のロッテルダムで降り、ローカル線に乗り換え、ようやく20:00位にブリュッセル北駅に着いた。予定では、ブリュッセルMIDI駅まで行くことになっていたが、スマホでクラウン・プラザ・ホテルを検索したところ、北駅が一番近いことが分かって敢えて北駅で降りたのだ。そこからスマホのググール・マップを頼りに5分程歩き、ようやくクラウン・プラザ・ホテルに着いた。スマホのお蔭で、見知らぬ土地でも旅ができたということになる。
 また予約した便がキャンセルされるというのは、インドでは経験したことがあるが、「欧州にしてそうなのか。KLMにしてそうなのか」という気持ちであった。ましてや代わり便のチケットに乗車券のみを寄越すとは。特急料金はどこに消えたのだ。日本ではこんなことは考えられない。日本がいかに公正な国なのかを改めて感じざるを得なかった。

2.再会

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 ホテル・ロビーで受付を済ませると歓迎会も終盤を迎えていたが、とにかく先に食事をしてくれということなので宴会場に入ると、前衆議院議員の牧野聖修氏と現衆議院議員の長尾敬氏が食事をしておられたのでそこのテーブルに加わった。韓国から参加のチベット研究家もそのテーブルにおられ、牧野先生が紹介して下さった。長尾先生は、以前立川で行った田母神閣下の講演会に来て頂いたことがあり、顔見知りであったが改めてご挨拶をした。
 私たち日本グループの宿は、クラウン・プラザ・ホテルからメトロで3駅離れたベッド・フォート・ホテルであったので、夕食事後荷物を持って外に出たところ、前を歩いていた集団の中から「小林さん」という声がした。見ると台湾からの参加者の一団から、タシ・ツェリンが現れた。2008年長野聖火リレーで福原愛ちゃんの前に飛び出して捕まった、あのタシ・ツェリンである。そのころに比べるとずっと痩せてしまったが、紛れもなくタシ・ツェリンだ。「病気だと聞いたぞ」と声を懸けると、「3年前にはもう活動はできないと、あきらめかけた。でも健康を回復して今回は参加できた」という。懐かしい顔を見られて嬉しい。滞在するホテルも同じだというので、その後も朝食の度に顔を合わせた。

3.入国

 ホテルでは、「日本中国民主化運動団体協調会」事務局長の王戴氏と同室することになっていた。彼は別ルートで来ることになっていた。歓迎会の席でも会えなかったので、「遅いな、何かあったのかな」と思いながらも、疲れもあって先に床に就いた。24:00頃、音がして目を覚ますと王氏が入って来た。「遅かったね。何かあったの?」と声を懸けると憤懣やるかたない表情で、「18:00頃ブリュッセルに着いたけれど、入管で別室に連れていかれ、飲まず食わずで2時間位放置されていた」という。何かを聞かれるわけでもなく、入管の別室に留置されていたのだという。「日本では入管の係官は、拳銃など持っていないが、ここでは係官は皆拳銃を所持している。そんな人に別室に連れていかれるのだから緊張した」と彼は語る。
 王氏は中国民主化運動をやっているために、中国のパスポートを取り上げられ、日本の再入国許可証だけを持って世界を回っている。今回は、ベルギー入国に障害が起きないように、あらかじめ日本のベルギー大使館でビザを取得して万全を期していた。ビザ取得も日本出発前日まで待たされ、ようやく取得して「ビザが出ました。」と嬉しい報告を、私は日本で受けていた。日本の再入国許可証に貼られたベルギー大使館発行のビザに、ブリュッセルの入管はボールペンで×を付け、新たに紙一枚のベルギー国内のみというビザを発行して、ようやく入国を許されたという。一国の代表機関である大使館が正規に発行したビザは、当然本国にも照会済みで発行された筈である。国家を代表する出先機関の権威とは、こんなにも頼りないものなのだろうか。
 その入管の部屋には、インドから来たチベット人たちも拘束されていたという。「彼らはもっと可哀想ですよ。8時間も留め置かれていたのです。その中に日本語を話すチベット人がいて、フランス語も英語もできない私を助けてくれた。入管の部屋には、飲み物の自動販売機と公衆電話が置かれていたが、お金を入れても機能しなかった。見せかけだけで置かれていたに過ぎない。外部と連絡を取るためには、携帯電話を使うより他に方法は無かった。主催者の欧州議会議員のトーマス・マン氏に連絡が取れないかと、かなり長く携帯電話を使ったので料金が心配だ。10万円位請求が来るかな。でもチベット人たちのためにも、今はこれを使うしかないと思った」と彼は語った。
 ようやく床に入った王氏は、さらに「チベットは独立すべきですよ。独立しなければ、こんな目に会うのですよ」と言って眠りに就いた。私は「我が意を得たり。中国人にもこういう人がいるのだなあ」と思いながら、私も眠りに落ちた。今のところ日本のパスポートには威力があり、我々日本人がこんな目に会うことは極めて稀だが、中国共産党政府に楯突く人々、民主化運動をする中国人、チベット人やウィグル人、モンゴル人たちは、皆こんな目に会いながら生活を送っている。やがて中国共産党政府に楯突く日本人たちも、同じ境遇に落ちるのだろうか?

4.法王猊下到着

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 8日からの会議は、セントルイス(St. Louise)大学の講堂と幾つかの教室を借りて行われる。9時に開幕式典が始まり、法王猊下も到着された。主催者欧州議会議員のトーマス・マン氏は、「チベット高原の環境破壊とチベット人の人権侵害に対し、中国政府に強く抗議を行った。チベット亡命政権の中道政策を強く支持する。また在ベルギーの中国大使館に、チベット支援のデモを行った。」と挨拶された。次に亡命政権主席大臣のロプサン・センゲ氏が基調講演を行い、「欧州議会の議員たちに中国政府から圧力が懸かったが、トーマス・マン氏らの毅然とした姿勢によって、この国際会議が開催されたことに感謝を表明する。チベットの若者たちの熱意と年配者の知恵が交流することによって、チベット問題を解決する良い知恵と熱意が生まれて来るだろう。2017年と2018年が中国政府指導者層の交代時期と重なり、非常に重要な時期となる。文化大革命とそれ以前の破壊により、チベット仏教は大きな痛手を受けたが、多くの仏教信者を生み出しており、既に中国には4億人の仏教徒がいる。ラルンガル僧院は既に何度も破壊されたが、仏教信者によってその度に再建されている。焼身抗議は決意と絶望の表明だが、やがてポタラ宮殿前の広場で、カラ・チャクラ(世界平和を祈願する密教の修法)を開催できる日が必ず来るだろう」と語り、会場から万雷の拍手を受けた。

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 続いて高名な俳優でインターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット(ICT)代表のリチャード・ギア氏が到着し、次のように挨拶した。「ここには50ヶ国からの代表団が集まっている。素晴らしい。私は白髪グループの代表だ(会場笑い)。この二日間の会議は、自由な意見交流の場だ。世界は可能性に満ちている。世界は大きく変化をしており、中国もそうだ。中国政府は強大であり、そのドアを叩くことはとても困難だと思える。しかし不可能ではない。世界を大きく見直すことが必要だ。中国政府が最も恐れているのが、法王猊下であり、またその仲間たちだ。チベットの公平と正義の思想を最も恐れているからだ。チベットの考え方の影響を受けて、我々の子供そして孫の世代が、より平和で協調に満ちた世界に暮らせることを願っている。中国人の兄弟姉妹もこの会場にいる。彼らもこの考え方に賛同しているからだ」と語った。

5.法王猊下のスピーチ(要約)

 ついでダライ・ラマ法王がスピーチをされた。
 (これは私が聞き取った内容であり、正確にはチベット亡命政権あるいはダライ・ラマ法王代表部の公式発表が優先することをお断りする)

 ──私はいつも率直に話をする。一人の人間として話をする。大事なことは、人類の一員であると自覚することだ。名前や立場、宗教が違っても、皆、一人の人間だ。私の考えでは、チベット問題は政治的な問題ではないと思う。私はチベット人であり、一人の人間だ。
 前世期、20世紀は暴力と殺戮が多くあった。これは武力が問題を解決すると考えていたからだ。この考え方は時代遅れだ。現代、この21世紀においては、全てが相互依存の関係にある。我々は、70億の人類の一員と考えなければならない。70億の人間が、相互に責任を負っている。対立を生み出すのも人間であり、また対立を解消するのも人間である。私たちは、暴力や殺戮を減少させるように努力しなければならない。チベット問題は、600万チベット人の権利や利益の問題と考えるべきではない。チベット仏教文化の本質は、非暴力と平和と慈愛である。また様々な科学研究と実験の結果も示しているように、人間の本質も平和的で慈愛に富むものである。本質的に、人類にはこれが必要なのだ。70億の人類の中には問題児も存在するが、それは本人たちの心が生み出している問題だ。
 私のスピーチの第1の要点は、我々が人類の一員としての自覚を持つことであり、第2の要点は宗教間の対立を解くことだ。宗教が対立を生み出し、殺戮さえも起こしている。しかし宗教は共存できることを、インドが示している。イスラム教でもキリスト教でもヒンズー教でもインドでは共存し、互いに認め合っている。すべての宗教は、皆、同じゴールを目指している。平和で慈愛に満ちた世界の実現である。様々な宗教が存在する理由は、生活環境や習慣の違い、また自然環境によるのである。そういった違いがあるからこそ、宗教も違っていて良いのだ。しかし異なった宗教でも、目指すところは同じである。インドのラダックでは、シーア派もスンニ派も仲良く暮らしているのを目にすることができる。
 チベット人たちは私を信頼してくれている。過去60年間、私がチベットの全責任を担って来た。1951年当時から、自分は民主主義が最も優れた政治体制だと考えていたが、政治的な状況が許さなかったので、それを実現することはできなかった。1959年にインドに来てからは、民主主義を取り入れる努力を続けて来た。2001年にその政治的責任から半分引退し、2011年には完全に政治から引退した。ダライ・ラマ制度は、第5世ダライ・ラマ以来の4世紀、400年に亘る伝統があるが、今はロプサン・センゲさんが政治的責任を担って2期目になる。私が今チベット問題に主として関わっている分野は、チベット語を含むチベット文化の存続である。
 ナーランダ僧院の教えによれば、ブッダの教えだからといってそれを信じてはいけないと説いている。自分で検証しなさいという。検証してそれが正しいと分かったら、それを受け入れなさいということだ。論理や知性を大事にするのが、ナーランダ僧院の伝統である。
またナーランダの教えによれば、将来災難が予想されたらその災難を避けるべく、今最善の努力をしなさいという。将来に不安があったら、今日できることをしなさいと説いている。そして災難を避けることができたら、当然不安は消える。恐れる必要はないのである。チベット問題を抱えていながら、私の心は平安である。今自分にできることを、今最善を尽くしてやっているからだ。
 祈るだけは駄目である。キリストに祈っても、ブッダに祈っても、マホメットに祈っても駄目である。災いを生み出しているのは人間だからだ。人間がそれを止めるしかない。そのためには、日常生活の中で疑い、怒り、憎しみの代わりに慈愛と忍耐と許しを抱く努力をすることである。今直ぐにそれを始めることだ。そうしたら、今世紀の末には世界はもっと平和になっているだろう。
 だからチベット支援者の皆さんが、するべきことは人間の心の研究を始めることだ。チベット問題は政治的な問題ではなく、チベットの豊かな文化を存続させる問題なのだ。人間の心に関するチベット仏教の豊かな知識と知恵を存続させることなのだ。ここには中国人の兄弟姉妹もたくさん来ている。この知恵を中国の兄弟姉妹も理解しているからだろう。彼らはチベットの中道政策を支持し、中国政府の強圧的な政策に反対している。現状では、武力が真理の力よりも勝っているように見えることもあるが、真理の力は武力に勝るのである。社会が平和で調和に満ちている方が遥かに良いだろう。平和や調和は、私たちの心が生み出すのである。

6.元チベット人政治囚ゴロク・ジグメ師の証言(要約)

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 8日午後からのセッションで、チベット仏教僧ゴロク・ジグメ師が自らの体験を語った。

 ──私は、友人のトゥンドゥップ・ワンチェンと一緒に『恐怖を越えて』というドキュメンタリー映画を製作した為に、3回投獄された。中国政府は、対外的にはチベット人が経済成長の恩恵を受けており、宗教や言語の自由を享受していると宣伝しているが、実際は中国政府の暴力と不公正に晒されていることを表すために映画製作の決心をした。
 僧院では愛国再教育が行われており、ダライ・ラマ法王を罵ることが強要される。チベット人を中国人に同化するために、チベットのアイデンティティを破壊する。そのために精神の核となる言語を奪う。またチベットの資源は、乱獲され甚大な自然破壊が起き、その結果自然災害が何度も起きている。
 チベットを中国に同化するために、チベット語とチベット文化を根絶しようとしていることが、2008年にチベット高原全体で発生した抗議運動につながった。私が最初に逮捕されたのは、2008年3月23日であった。私は自宅にいたが、私を逮捕するためにどれほど多くの警官が来たか、私はその数を数えることはできなかった。後に友人から聞いたところでは、300人の武装警察官と60人の警官が来ていたそうだ。
 彼らは銃床と電気ショック棒で体中を殴り、黒い袋を頭から被せて、私を警察署に連行した。二人の中国人幹部が来て、右手を天井のフックに縛り付けて天井から吊るされ、一日中吊るされていた。翌日は左手で吊るされた。その後も拘置所を何度か変えて、様々な拷問を受けた。彼らが私に拷問を加えた目的は、仲間の名前を聞き出すためであった。私は拷問で衰弱し、恐らく死んでしまうだろと思っていたので、一切質問には答えなかった。死の恐れのある時にも、仲間の名前を言わなかったことが、私の人生における最も偉大な行為であったと、今は考えている。
 2009年に2度目の逮捕。罪状は国家機密漏えい罪であった。この時にも拷問を受けたが、以前程のものではなかった。
 2012年に3度目の逮捕。この時は、焼身抗議を煽った罪であった。今度は中国政府が如何に寛容であるかを昏々と諭された。10月1日の国慶節の日に、蘭州の軍事病院で健康診断を受けることになった。そんなに遠くの病院で診察を受ける必要などないと、私は思った。以前から、診察は罠であって注射で殺されてしまうという話を聞いていた。2012年9月12日の深夜、私は足の鎖を外し、どうにか脱出することに成功した。2か月間逃げ回っていたが、甘粛省政府と四川省政府が殺人の罪で、私を指名手配し20万元(310万8,000円)の賞金を懸けていたことを知った。この冤罪に抗議するために、警察署の前で焼身抗議をすることを考えたが、私が死んでしまったら中国政府はこの冤罪で押し通すだろうと思い、生き抜く決心をした。
1年8か月間逃げ回って、2014年5月18日にダラム・サーラに到着した。

7.中国民主運動家たちの意見表明

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 今回はそうそうたる中国民主運動家の方々の参加があった。
 「反旗」という雑誌にも取り上げられている活動家の中からも、「不撓不屈の海外民主活動家」と称えられる王策氏、「奇跡の脱出を遂げた盲目の人権活動家」陳光誠氏、他にも石平氏と共著を出している陳破空氏らである。また香港の大学教授で現在米国在住の、中国史の専門家劉漢城教授は、明王朝時代の公式地図、また清朝時代の公式地図を元に、チベットはベトナム、韓国、琉球、日本と同じ扱いで、決して中国の一部でなかったと発言された。「これは、政治的な発言ではない。純粋にアカデミックな発言であり、アカデミックな立場では嘘は言えない」と劉教授は語り、会場から大きな拍手を受けた。

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 翌9日9:00からの第4セッションでは、盲目の人権活動家・陳光誠氏が「中国共産党の真実」というテーマで報告を行った。「4年間投獄されていたが、自宅軟禁状態の時に北京の米国大使館に逃げ込み、米国に亡命できた。チベット人の当然の権利を共産党は認めるべきだ。中国の憲法にも国連憲章にも、それは認められている。チベット人の自治権を共産党は認めるべきだ。1974年からダライ・ラマ法王は自治権を要求している。法王は、独立と嘘の自治権の両方を拒絶している。それは、宗教と文化、自然環境を守るためである。

 過去10年間で、中国共産党の支配は悪化の一途をたどっている。汚染された空気を吸い、汚染された食べ物を食べ、汚染された水を飲んで、中国共産党支配下の人々は苦しんでいる。独裁政権に抗議する者は、拉致され、逮捕されて拷問を受ける。人間は幸せに暮らす権利を授与えられており、暴虐な政権を倒す権利を持っている。」と語った。

8.孔子学院の閉鎖

 中国文化の紹介施設として、孔子学院が世界中に存在する。日本では、2005年に立命館大学に設置されて以来、既に早田大学等の十数大学に設置されている。世界的には、その数は450を数える。その活動内容は、中国語の学習、中国文化の紹介等であり、孔子の名を被せていても儒教の講義は行われていない。また設置した大学には、中国政府から莫大な資金が投じられており、これを目当てに孔子学院を開設する大学は世界的に多い。また一部の担当者に賄賂が贈られているという噂も多く囁かれている。
 孔子学院の実態は中国共産党の宣伝機関であり、自由な学問の研究機関としての大学に相応しくないという認識が、欧米の大学教職員や学生の間に広まり始めている。既にトロント大学等の8つの大学で、孔子学院が閉鎖された。教職員や学生の主張は、大学は公正で自由な研究の場であり、「ダライ・ラマ法王の写真は駄目だ。チベットの旗は駄目だ」と言っていては、公正な研究はできないではないかというのである。英国では、この問題を議会で取り上げる議員や、報道で取り上げるジャーナリストが出て来ている。
 またこのテーマを取り上げた分科会において、英国から参加した大学教授は、中国政府からの資金援助は受け付けるが、自由で公正な研究機関としての大学の機能を失うべきではないとして、中国政府の規制は受け付けず、中国政府の資金援助で中国の不都合な面の研究を行うと述べて、英国人のしたたかさを窺わせた。日本人も見習うべきだと、私は思った。

まとめ

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 帰国後、知り合いになったチベット支援者・中国民主化運動の活動家たちに、日本からも情報発信すべきであると考えて、日本には中国の歴史、文化、経済の専門家が多数おり、著書も多数あるが日本語で書かれているために、余り世界には知られていないと伝えた。要点だけでも英語で紹介しようと言って、遠藤誉氏の「毛沢東」という著書に、「毛沢東が国民党軍の軍事秘密を日本軍に売って、莫大なお金を儲けていた」と書かれていることを紹介した。すると台湾から直ぐに反応があり、遠藤誉氏の著作は中国語にも翻訳されていると言って、中国語版の表紙写真を送っていただいた。
 おそらく台湾で出版されているのだと思うが、中国本土にも流れて行くのではなかろうか。毛沢東の犯罪・中国共産党の犯罪は、中国語だけでなく英語でも発信して欧米人の常識にしなければならないと思う。これは共産党の行う、嘘を真実だと言い募るブラック・プロパガンダではなく、真実を伝えるホワイト・プロパガンダなのだから。

 以上で今回の国際会議の締め括りとしたい。