平成20年06月18日(観世音縁日・チベット歴 サガダワの聖日)

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 去る平成20年6月18日(水)東京都港区芝の増上寺光摂殿を会場に「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会 第1回結集」が開催された。この日は、観世音菩薩の縁日であり、チベットの暦ではブッダの誕生・成道・入滅の聖なる日にあたりました。

 僧俗合わせて160名程(毎日新聞発表)の参加者が来場された。また、参列できない僧侶・在家の方々からは、多数のメールやファックスが寄せられた。

プログラム① 川原英照代表挨拶

019-H20.06.18
 みなさまこんにちは。第1回結集にお集まり頂きまして心から熱く御礼申し上げます。私は図らずも代表幹事という重責を担うことになりましたが、ここにお集まりの皆様方は、皆同じ気持ちだろうと思います。

 もし現代に、釈尊がいらっしっゃたらどうさられるか。この現状を観て、何をされるだろうか。またもし、各宗派の祖師方が現代の「この今」にいらっしゃったとするならば、どうされるでしょうか。

 おそらく今日いらっしゃった皆さまは、「祖師ならば黙ってはいないだろう」「立ち上がり、人々の先頭に立つだろう」という想いを持って、ここにお集まりであると確信しております。(※中略左画像下へ)

 観音さまと同じくチベットでは文殊菩薩を尊びますが、この文殊菩薩の経典には次のような教えがあります。

「生身の文殊に会いたいと思うなら、貧窮孤独の人々を供養しなさい。彼らをお世話しなさい。彼らこそ、私たちに慈悲心を起こさせんがために現われている文殊菩薩の化身である」

 マザー・テレサも同じように貧窮孤独の人々の中に「神がいる」と言って、全身全霊をかけて生涯を人々に奉仕されました。仏教には遥か昔からこうした実践があったわけです。まさに今、チベット問題は私たちに「本当の慈悲とは何なのか」ということを突きつけているのだと感じます。

 日本では「慈悲」といえば「優しいだけ」と思われがちですが、ご覧下さい、こちらはダライラマ法王猊下の「怒りの顔」です(AP通信提供の写真を示す)。この怒りのお顔の奥に、深い智恵と慈悲があるのです。私は4年前に法王猊下のお傍に親しく過ごしましたが、終始にこやかでユーモアたっぷりに周囲の人々を惹きつける方であると思っていました。しかし、去る4月10日、成田空港での記者会見で「プリーズ・ヘルプ・ミー」と仰った。あのお声には、悲しみと怒りが入っておりました。法王猊下ほどの慈悲の達人にとって、この「怒り」というのは単なる薄っぺらな怒りではないと思います。

 私たちは今、宗派を超えて結集しました。現代の問題に対して、宗派の壁は厚く、なかなか向き合うことが出来ません。しかし、今日お集まりの方々は、それぞれがリスクを背負って来ていらっしゃることと思います。私たちは、このリスクをしっかりと背負いながら、人々の前に立ちあがっていくことが大事であると、私は強く感じています。

 本日は「第1回」の集まりですが、これから全国各地で僧侶の方々が宗派を超える四方僧伽として運動をしたいと思っております。

私たち運動はチベット問題に限らず、我が国においてはイジメや差別、自殺の問題とも関連していくのではないかと感じております。しかし、今僧侶が何もしないならば、現代において仏教は滅びるという危機意識を持っています。大袈裟と人はいうかもしれませんが、私たちの祖師方が、人々の苦しみにどのように立ち向かわれたのかと思うなら、その百分の一の力でもいい、私たちは宗派を超えて力を合わせて立ち上がっていきたいと考えております。皆さんから10人、20人と輪が広がっていくことを願っています。

 本日はお集まり頂き有り難うございました。

プログラム② 来賓挨拶 ダライラマ法王日本代表部 ラクパ・ツォコ氏

059-H20.06.18

 みなさん、こんにちは。今から5、6年前の状況を思うと、このような会を催すことが出来ただろうかと、つくづく思います。

 昨年は、全日本仏教会が、神奈川県仏教会と一緒に、初めてダライラマ法王をお招きし、素晴らしい会を持つことが出来ました。それを見た時、私は18年間日本に住んでいますが、非常に感激しました。そして、今年は善光寺において、善光寺を支える僧侶の方々が、非常に難しい状況の中で、大変踏み込んだ判断をしてくださった。同じ釈尊の教えであるチベットの僧侶や尼さんに理解と同情を示して、テレビや新聞の前で発表したのは、私たち世界のチベット人にとって「歴史的な瞬間」でした。

 善光寺のご判断は、善光寺とチベット人の間、日本仏教とチベット人の間、さらに日本の国とチベットの間にも大きな貢献をしたと思っています。このことは、世界中のマスコミも大きく取り上げました。
 そのような状況の中で、私たちは今日ここに、チベットに同情を寄せる僧侶の方々が宗派を超えて集まったこと、ステージの上で、それぞれの宗派のお経を唱えている姿から、うまく言えませんが、何か伝わってくる、そして非常に感激しました。
 このようなことは今から5、6年前には考えられませんでした。でも、世界も、日本も少しずつ変わっています。ですから、皆さんも宗派を超えて集まってくださった。このことに対して、私はダライラマ法王の代表として、チベットにいるチベット人の代表として、また世界中にいるチベット人の代表として、心から御礼を申し上げます。

 この会の設立にはご苦労も会ったと思いますが、この会が続いて、この種が善い樹になるように、育つように、私から皆さまにお願いといたします。そして最後に、今一度、ダライラマ法王と亡命政府を代表して皆さまに御礼を申し上げます。有り難うございます。